宇宙シロクマ

Tuscan Blue's blog

 『舞台 PSYCHO-PASS サイコパス Virtue and Vice』感想 東京初日🍉5/5追記🍉

5/5追記

🍉後半の「孤独な闘い」「哲学的ゾンビ」「九泉晴人」「エンディング」を修正しました(※後半は内容にふれています)

PSYCHO-PASS掲載情報


舞台サイコパス 東京公演初日

2019年4月18日(木)開演18:30(1回公演)

日本青年館ホール 

演出:本広克行  脚本:深見真

キャスト

九泉晴人:鈴木拡樹

嘉納火炉:和田琢磨

井口匡一郎:中村靖日

蘭具雪也:多和田任益

相田康生:小澤雄太

後藤田希世:町井祥真

大城奏人:池田純矢

三島慎吾:高橋光臣

目白一歩:山崎銀之丞

その他のキャスト、詳細はこちら:

 

東京千穐楽おめでとうございます!

 

激しいアクションが多い舞台でありながら、誰ひとり欠けることなく、おけがをすることもなく、無事に楽日をむかえることができてよかったですね。

 

(少し心配していたので、とってもうれしいですʕ๑′ᴥ‵๑ʔ)

 

わたしは初日に観劇したのですが、最高にスタイリッシュでかっこいい驚愕の舞台でした!

 

感動のままにスタオベ!(立ちやすい席でよかったです)

  

今回は一回のみの観劇予定でしたので、大切に、大切に見ました。

 

ものすごく集中していたので、一回だけにもかかわらずキャストのセリフの端々が耳に残り、一挙手一投足が目に焼きついています。

 

それでも、どうしてももう一度見たくなり、がんばって都合をつけて大千穐楽のライブビューイングに行くことにしました。

 

映画館なので、劇場とはちがって遠くにいるような気分になってしまうかもしれませんが……

 

でも本作の場合、映像で、特に大きなスクリーンで見てみたい作品でもあるのです。

 

演出家の本広克行さんがインタビューで「ライブビューイングを意識してつくった」とおっしゃっていたのですが、まさにそのような舞台でした。

 

上演時間は2時間。

 

脚本自体も映画のようなスピード感と緊迫感のある展開なので、映画館で見るのにもふさわしいのではないかと思います。

 

ライビュは5月6日(月・祝)17:00開演。

 

詳細はこちらです。

「舞台 PSYCHO-PASS サイコパス Virtue and Vice」ライブビューイング

 

まだチケットが買える映画館もありますので、迷っている方にはぜひおすすめしたいです。

 

一度見てすべてを知った上でまた見たくなる、そんな舞台でした。

 

🍉 目 次 🍉

※「オープニング」以降は内容にふれています ※

 

 

重層的サイコパス

 

 

何が一番よかったかというと、キャスト全員がオリジナルキャラクターを熱演したことだったのではないかと思います。

 

アニメと同じ公安局刑事課「一係」ではなく、新しく「三係」を舞台にしたオリジナルストーリーが、PSYCHO-PASSの世界をさらに大きく広げていました。

 

オリジナル作品であったがゆえに、完全にPSYCHO-PASSであり、かつ重層的な世界観を生み出していたと思います。

 

狡噛慎也宜野座伸元がいる世界に、九泉晴人や嘉納火炉もいるのだと、リアルに想像できたからです。

 

一係と同じビルに三係もあって、彼らは公安の同僚であり、おたがいに意識して、時に協力し、時に競いあって働いているのだろうと……

 

PSYCHO-PASSの世界が、よりリアルに感じられました。

 

 

純粋にストレートプレイの舞台作品として楽しめた一方で、観劇後にアニメを見ると、キャラがよりリアルに見えたことも新鮮でした。

 

おそらく、生身の人間である三係の監視官と執行官の熱い生きざまを見たあとだからなのではないかと思います。

 

一係のストーリーの向こう側には三係があるのだと、

 

井口や大城や目白や蘭具や相田がいるのだと、

 

この世界のどこかには彼らの人生もあるのだと、

 

知っているからなのではないでしょうか。

 

 

舞台サイコパスによって、『PSYCHO-PASS』の世界観と可能性はさらに大きく広がったのではないかと思います。

 

初の実写化として、大成功だったのではないでしょうか。

 

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日本青年館にて



🍉ここから先は内容についてふれているので、これから観劇される方はのちほどお読みください🍉

 

 

オープニング

 

 

劇伴はアニメのサントラから多く使われており、それがとても効果的でした。

 

オープニングは、凛として時雨が新しく書き下ろしたテーマ曲「laser beamer」

 

PSYCHO-PASSの世界観にぴったり。

 

幕開けと同時に、日本青年館にいたはずの観客は一瞬にして、ピコ・デラ・ミランドラというルネサンス期の哲学者の名をもつバンドのライブにきた観客となったのです。

 

ひとりひとりがPSYCHO-PASS世界の住人となって、時間と空間を共有します。

 

それに続くキャスト紹介のオープニングはスタイリッシュな演出で、一気に引きこまれました。

 

オーダーメイドのスーツを着たキャストがひとりずつ登場するのですが、曲がぴったりはまっていて、何度でも見たくなります。

 

あの曲にのって舞台をさっそうと歩くのは、すごく気持ちがいいのではないかと思います。

 

 

最後に、鈴木拡樹さんが演じる九泉晴人が登場します。

 

右手にドミネーターをもち、左手はポケットに入れたまま……

 

中央に立った晴人は、客席後方を見すえてドミネーターを撃ち放ちます。

 

最高にかっこよかったです。

 

 

360度サイコパス

 

 

鈴木さんがインタビューで「360度サイコパスの世界観をお楽しみください」と言っていたのですが、その意味がよくわかりました。

 

まず、映像の使い方がクールで斬新。

 

舞台と映画が融合したようなシーンもあり、通常のプロジェクションマッピングとは一線を画していました。

 

舞台装置も凝っています。

 

舞台全体に大きく建てられた三層の無機質な建造物が、夜の摩天楼のようにも見え、PSYCHO-PASSの世界をあざやかに生み出していました。

 

舞台の使い方もダイナミックで、各所でシーンが切り替わっていくさまは刑事物ドラマの3元中継のようでもあります。

 

そして、通路を使った演出が非常に効果的だったのです。

 

新しくなった日本青年館の一階席は横に長くゆったりとした造りで、まるで客席降りのために設計されたかのように上手と下手の扉前に空間があります。

 

舞台と客席フロアが一体化する演出に合っているのですが、本作でも効果的に使われていました。

 

(座席表)

https://seinenkan-hall.com/wp-content/themes/seinenkan/images/pdf/seat.pdf

 

 

鈴木さんが演じる九泉晴人の客席降りは2回。

 

まず前半で、上手の扉から登場し、上手側通路を通って舞台へ上がります。

 

そして後半は、下手の扉から登場して、下手側通路を通って舞台へ上がります。

 

特に後半が、とてもよかった。

 

ちょうど日本青年館と同じくらいの1000人キャパのライブハウスが事件の現場だったので、観客はふたたびライブハウスの客となったのです。

 

PSYCHO-PASS世界の住人のひとりに……

 

まず、テロリストであるヒューマニストたちが両サイドの扉からわらわらと出てきて、通路を通って舞台に上がるので、観客はそちらに気をとられます。

 

わたしは1階下手ブロックの席だったのですが、左に何かの気配を感じました。

 

はっとして下手扉を見ると、誰かが駆けてきて背後で「いそげーーー!」と叫んだのです。

 

ものすごく野太い声だったので、一瞬、誰かと思いましたが、晴人でした。(これまで聞いたことのない鈴木さんの声でした! あとにも先にもなく、このときだけ聞けた凄い声)

 

三係が必死に走って助けにきてくれたのです。

 

おどろおどろしいマスクをしたテロリストたち、駆けつける公安……ライブハウスは阿鼻叫喚でしょう。

 

その恐ろしさと焦燥感。

 

まさに360度、サイコパス世界を体感することができました。

 

 

孤独な闘い

 

 

晴人はいつも、ポケットに手をいれています。

 

特に、左手を入れていることが多い。

 

ドミネーターを撃つときも、左手はポケットに入れたままです。(「任務初日」の記憶の中の晴人は両手でかまえていることにも注目)

 

ポケットに手を入れるのは晴人のクセなのでしょう。斜にかまえて本心を見せない性格がよくでていました。

 

あるいは、深層心理では自分でも自分のことがよくわかっていなくて、魂の半分が失われてしまっているということの暗喩なのかもしれません。

 

思えば、登場したときから、晴人にはどこか違和感がありました。

 

性格や人格が、よくわからない感じがしたのです。

 

ひとことで形容できるようなわかりやすい人ではなかった。

 

前髪をセンターでわけているおぼっちゃまのような髪型だということもあって、なんとなく、いい子が無理をして悪ぶっているような雰囲気がありました。

 

たとえば、荒っぽく机に脚をのせたり、煙草を吸ったりする一方で、物腰がどこか丁寧なのです。

 

乱暴にふるまっているようでも完全に乱暴ではない。

 

これは鈴木拡樹さんの素と、荒々しい役柄とのギャップなのかなとも思ったのですが、クライマックスで、ある謎が明かされて、なるほど、と腑に落ちました。

 

鈴木さんがあえて、こういう役作りにしたのかもしれないと思ったのです。

 

晴人は実は、ある実験によって、記憶を改ざんされていました。

 

(詳細はライビュかBD/DVDでごらんください)

 

どこかつかみどころのない印象があったのは、前の記憶がにじみ出てきていたからなのかもしれません。

 

晴人の深奥にいる本当の彼と、強制された表層の彼が矛盾をおこして、そのほころびが出てしまっていたのかも。

 

実際、犯罪係数も上がり続けていましたから。

 

本当の人格が表に出ようともがいていて、自分でも知らないうちに苦しんでいたのかもしれません。

 

たとえば夜、悪夢にうなされて目覚めてしまうようなこともあったのではないでしょうか。

 

誰も知らない、自分すら気づいていない、孤独な闘いです。

 

もしかすると、以前の晴人は、今とは正反対の性格だったのかもしれませんね。

 

たとえ似たところのある性格だったとしても、(詳細は書きませんが、ある実験の結果)、無理が生じてバグが出てしまったのでしょう。

 

ついには抑えきれなくなって、犯罪係数が上昇してしまったということなのだと思います。

 

 

哲学的ゾンビ

 

 

この作品のテーマは「人間らしさとは何か」という問いです。

 

自分の意思をもって行動する誰かを「人間」と定義するならば、その対となるのが「哲学的ゾンビ」です。

 

和田琢磨さんが演じる嘉納火炉は、「哲学的ゾンビ」とは、自分の意思をもたずに行動する人のことだと説明します。

 

脳の中にマニュアルがあって、そのマニュアルにそって行動しているので、一見、普通の人間のように見えるのですが、実際はあやつられているのです。

 

マニュアルにそって喜怒哀楽するだけで、自由意志がないため、人間というよりはロボットのようなものです。

 

嘉納が晴人にこの説明をしたとき、舞台空間全体に映し出された映像には「哲学的ゾンビ」にまつわるさまざまなキーワードが点滅していました。

 

そして数多くの言葉の中に、一瞬、「九泉晴人」の文字も見えたのです。

 

その時は、その理由がわからなかったのですが、クライマックスで、ある真相が明かされて、サブリミナル効果のような伏線だったと気づきました。

 

哲学的ゾンビを追跡している晴人こそが、哲学的ゾンビだったというわけです。

 

(その事実を知る嘉納が、晴人に「哲学的ゾンビ」について説明していたというアイロニー……)

 

 

本作は、そんな哲学的ゾンビであった晴人が、最後に人間らしさをとりもどして、みずからの意思で人生に決着をつける物語でもあります。

 

 

たとえば、晴人はずっと潜在犯である執行官のことを見下していました。

 

対等な人間であるとも、部下であるとも思っていなかったでしょう。

 

晴人にとって潜在犯とは犯罪者のようなものだったのです。

 

しかし、回想の中の母親は、晴人にずっと問いかけていました。

 

「潜在犯は人間じゃないの?」「あなたはそれでいいの?」と……

 

おそらくその問いは、晴人自身の疑問を映し出した鏡だったのではないでしょうか。

 

自分でも気づいていない深層心理が、悲しそうに問いかける母親としてあらわれ出たのではないかと思います。

 

晴人は、ある執行官が彼をかばったとき、初めて、

 

「いい部下を持ったよ……ありがとうな」

 

と口にします。

 

涙をこらえながら。

 

彼らも対等な人間であったことに、大切な部下であったことに、ようやく気づくことができたのです。

 

そしてラストシーンでは、嘉納にむかって「潜在犯は犯罪者ではない!」と力強く断言するまでに至ったのです。

 

 

以前の晴人が、実際にどんな人だったのかはわかりません。

 

"母親" の映像が、本当に彼の母親であったかどうかさえもさだかではありません。

 

ただひとつわかることは、彼は「人間として」死んでいくことができたということです。

 

人間らしく死ぬことができて、晴人は、幸いだったのではないでしょうか。

 

 

九泉晴人

 

 

「九泉」という言葉には、「九重にかさなった地の底」という意味があります。

 

死後に訪れる世界、つまり「あの世」という意味です。

 

晴人は、自分が何者であるのかすら知りませんでした。

 

知らないということすら知らなかった。

 

無知の無知。

 

晴人の日々は、暗い地の底でさまよっているようなものだったのではないでしょうか。

 

そんな彼が、今の自分は本当の自分ではないという真実を知ったのです。

 

"あるトラウマ" が事実ではなかったと知ったことだけでも、彼にとっては大きなことです。

 

そんな「人でなし」ではなく、「人になれた」と思ったのではないでしょうか。

 

 

「九泉晴人」という名前には、「九重にかさなった地の底をさまよったのちに、迷いが晴れて人になる」という意味がこめられていたのかなと、ふと思いました。

 

 

エンディング

 

 

ラストシーンには、晴れ晴れとした切なさがありました。

 

まさかの結果。

 

切ない……

 

あのピアノ曲槙島聖護の最期の曲である『楽園』が流れる中で、局長と常守朱が「人間らしさとは」についての会話をします。

 

そこへ三係のみんなが、舞台の奥に楽しそうにあらわれるのです。

 

声は聞こえませんが、その様子からは序盤での彼らが思い出されます。

 

彼らは今、楽園にいるのでしょうか……

 

傷を負いながらも生き残った目白分析官が彼らに近づいて、やがて全員がシルエットになっていきます。

 

胸にせまる光景でした。

 

 

(初日にこのラストを初めて見せられた者の胸中たるや……!客電がついた時のざわざわとした空気によくあらわれていたと思います。)

 

 

カーテンコール

 

 

エンディングからカーテンコールへと続く流れも美しかったです。

 

シルエットになった三係のみんなが、暗がりから前にあらわれ出て、1回目のカーテンコールがはじまりました。

 

流れる曲は、オープニングと同じ「laser beamer」

 

鈴木さんは中央に立って一礼し、最後もみんなと一緒に下手へ去りました。

 

 

2回目のカーテンコールでは、

 

鈴木さんは、最後に下手へ去るとき、ひとりだけ立ち止まり、上手側の客席をむいておじぎをしました。

 

(両手を脚の付け根につけるいつものおじぎですが、右足を少し前に出しているヴァージョンでした)

 

 

3回目のカーテンコールでは、

 

鈴木さんは下手へ去るとき、ひとり立ち止まり、右手を左胸にあててきれいなおじぎをしました。

 

(オーダーメイドのスーツがとてもよく似合っていたので、いつもよりさらに印象的な一礼でしたʕ๑′ᴥ‵๑ʔ✨)

 

終演のアナウンスが流れても、盛大な拍手はなりやまず……

 

気がつけば、私は感動のままに立ち上がっていました。

 

もうカーテンコールは終わったので、誰も出てくることはないでしょうけれども、観客が感動をあらわすにはそれしか方法がないので……

 

花向けの拍手が、遠い楽屋まで届きますように。

 

明日からの追い風になりますようにと願いながら……

 

すると、思いがけず、またキャストが出てきてくれて4回目のカーテンコールがはじまったのです。

 

最後に、中央に立った鈴木さんは自分のマイクを指で示しました。

 

(スピーチをする予定がなかったので、マイクが入っていなかったのでしょう。入れてくださいと合図をしたのだと思います)

 

鈴木さんは観客に感謝の言葉を述べたのちに、

 

「本来ならば、お話する予定はなかったのですが、たくさんの拍手をいただいたので……」

 

と、お話をしてくれました。

 

「明日からも最高のサイコパスをお届けするために、日々がんばっていきたいと思います。また観劇してくださる方は、ぜひ細かいところなども見て楽しんでください。本日は、どうもありがとうございました」(大意です。もう少し長かったような気がします)

 

感動が伝わって、思いがけず答えてくれて、予定外のスピーチがあったことがとてもうれしかったですʕ๑′ᴥ‵๑ʔ

 

 

 

さて、きょうは大阪公演の初日です。(時の流れは速いですね……)

 

舞台サイコパスも、残すところあと5公演となりました。

 

どうか最後までご無事で、全力で駆け抜けて、最高の舞台を届けてください。

 

千穐楽LV、楽しみにしています!

 

 

ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。

 

 

前回の記事に星とコメントをくださったみなさん、どうもありがとうございます。

 

お返事しましたʕ ❛ᴥ❛ʔฅ🌟🌟🌟

 

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