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Tuscan Blue's blog

『朗読劇 私の頭の中の消しゴム 10th letter』鈴木拡樹 増田有華 2018年5月2日(水)3日(木)感想


前半は主に物語について、後半は鈴木拡樹さんの演技について。

【あらすじ】

朗読劇「私の頭の中の消しゴム」とは|私の頭の中の消しゴム

脚本・演出 岡本貴也さん

浩介    鈴木拡樹さん

薫     増田有華さん

2018年5月2日(水)、3日(木)

よみうり大手町ホール

公演レポート-鈴木拡樹×増田有華- : 朗読劇 私の頭の中の消しゴム

公式

 

 

運命の扉

 

 

物語のはじまりは、浩介でした。

 

舞台の中央にある大きな扉をあけて、男がひとり、勢いよく飛びこんできます。

 

何を探しているのかもわからないまま、何かを探しているような顔をしています。

 

なぜここにいるのか、なぜ生きているのか、本人にもよくわかっていないのかもしれません。

 

目をつぶったまま崖沿いを走ってきたようでもあります。

 

闇の中で絶望して、目的もなく、ひとりきりで生きてきた浩介のこれまでの人生が浮かんで見えました。

 

 

背景をひきつれて颯爽と登場し、観客の心をつかんで物語の中に一気に連れていってしまう……鈴木拡樹さんの演技が光るオープニングです。

 

 

大きな扉は、いろんな運命をもたらしました。

 

うれしいこともあり、悲しいこともありました。

 

あの世とこの世のはざまに立つ境界線のようにも見えます。

 

浩介は扉からひとりであらわれましたが、カーテンコールでは薫と手をつないで、ふたりで扉のむこうへ帰っていきました。

 

人間はひとりで生まれてくるけれど、生き方次第では、最後は孤独ではなくなる……ということなのかもしれません。

 

 

永遠の愛の物語

 

 

観劇する前は、恋物語なのかと思っていたのですが、ちがいました。

 

描かれていたのは、愛でした。

 

愛とは、すべてを許して、受け入れることです。

 

そんなことを思いながら見ていたので、最後のほうで浩介が苦しみながら吐いたセリフがいっそう胸に響きました。

 

「痴呆の患者は、どんなことを言われても、決して責めてはいけない。すべて受け入れなければならない……そう言われた。そんなことはわかっている!」

 

浩介は充分に許しているし、受け入れているように見えるのですが、それでも彼の中では激しい葛藤があるのだということが伝わってきました。

 

 

また、男女ふたりが主役なのかと思っていたのですが、ちがいました。

 

浩介目線で書かれた脚本でした。

 

ゆえに、浩介が主役。

 

そのためか、女性の描写には、いろいろと首をかしげてしまうところがあります。

 

しかし、もともと女性のことがよくわからない浩介から見た「よくわからない薫」なのだと思えば、納得できるのではないかと思います。

 

「女って……わっかんねえ……」と思っている男性から見た女性、なのです。

 

わけのわからないところがあっても、しかたのないことだと思います。

 

薫の目線から脚本を書くと、また少しちがってくるのかもしれませんね。

 

 

それにしても、薫はいろいろと無神経で、びっくりするほど酷いことを「あなたのためなの」とでも言うようにするのです。

 

浩介の秘密の過去がはいった引き出しをこっそり開けてしまうところなど、ほんとうに「ありえない!」

 

今でいうと、勝手にスマホを見てしまう人、でしょうか。

 

さらに、過去のトラウマを盛大に暴いて本人の目の前につきつけます。

 

ありえない……

 

それでも浩介は許してしまうのです。

 

彼のように重いトラウマを抱えた人間なら、普通、そこで別れると思うのですが。

 

別れてしまったら話にならないので物語は続きます。

 

愛ゆえに、という感じで。 

 

薫は、いわゆる「きれいごと」をならべて、浩介を説得してしまいます。

 

浩介も浩介で、結局は説得されて酷い母親を助けてしまうので、「トラウマ」の重さについて首をかしげてしまいます。

 

ああ、その程度のトラウマだったのね……と、思わざるをえない展開であります。

 

再会した母親が少しはまともなところのある人間であったなら救われますが、まったく改心しておらず、酷い言葉を投げつけてきます。

 

酷い。

酷すぎる……ʕ ˃̣̣̥ᴥ˂̣̣̥ ʔ

 

最終的に、浩介は母親と和解できたようなのですが、それはたまたまラッキーだったからなのではないでしょうか。

 

正直、あの母親を助けたことで不幸になる可能性のほうが高いのではないかと思います。

 

なぜなら薫が亡くなったあと、ひとりきりになった浩介に残されるのは、金遣いの荒い酷い母親と本物のヤクザなわけです。

 

想像するだに恐ろしい状況で、この先、一生、とんでもなく酷い目にあってしまう可能性だってあります。

 

薫は不幸の種をまいて去っていった、という見方もできるでしょう。

 

浩介が言っていたように、母親がいなくても彼は充分、幸せになれたと思います。

 

 

薫のやり方は、彼女の価値観の一方的な押しつけです。

 

相手のことを尊重していれば、あんなことはできないはずです。

 

 

さらに薫が矛盾しているのは、「家族なんだから!」という理由で浩介に母親を助けさせたにもかかわらず、最後は、黙って浩介を置き去りにしてしまうところです。

 

わずか10歳のときに、たったひとりの大切な母親に黙って置き去りにされた浩介は、またもたったひとりの大切な妻に、黙って置き去りにされてしまうのです。

 

浩介に感情移入しながら見ていた観客は、薫の仕打ちにもうボロボロですよ。

 

そこは「家族なんだから」連絡先くらい残していってほしい……

 

施設に入るのはわかるし、そうするしかないと思うけれど、ときどき面会にいかせてくれたっていいじゃない……

 

そう思わざるをえません。

物語の展開上、しかたがないとわかってはいても。

 

 

このように、気になることは多々あるのですが、でも、そんなあれこれは、ささいなことなのではないかと思います。

 

なぜなら『朗読劇 私の頭の中の消しゴム』は、現実を克明に描くことを目的としているわけではないからです。

 

描こうとしているのは、永遠の愛。

 

愛を知らなかった男が、最後に愛を知る、これがテーマです。

 

そのために2時間があり、さまざまな設定と伏線があり、笑顔と汗と涙があり、ていねいに積み重ねていったすべてのセリフの先にあるのが……

 

愛です。

 

「人間はひとりで生まれて、ひとりで死んでいく」

 

そう信じていた浩介。

 

愛されたことも愛したこともなく、たったひとりで生きてきた孤独な男が、最後に愛を知って、永遠にふたりになる物語です。

 

 

若年性アルツハイマー病が進行してしまった薫は、一見、遠くへいってしまったように見えますが、以前よりも浩介の中枢にいます。

 

すべてを忘れてしまった薫の中に、浩介がしっかりと存在していたように。

 

浩介はもうひとりではないのです。

  

たとえ薫が亡くなってしまっても、浩介の中にいつまでも存在するでしょう。

 

日ごと、あざやかに……

 

ふたりは永遠に共にいるのです。

 

 

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鈴木拡樹さんの演技

 

 

今回は、「天魔王ではない鈴木さんの演技」を初めて見るために観劇しました。

 

朗読劇で、2公演のみ、しかも2日連続だと、演技プランは変えない役者さんが多いのではないかと思います。

 

それゆえ、1公演だけ見るという選択肢もあったかもしれません。

 

ただ、わたしは、「髑髏城での鈴木さんの演技プランの変遷」を見てきた経験から、念のため、2日とも見ることにしたのですが……

 

大正解でした。

 

なぜなら、初日と楽日では芝居を変えてきて、ほぼ別人だったからです。

 

くりかえしますと、「2日連続の2公演」です。

 

別に変える必要性はなかったかと思うのですが、なぜ変えてきたのでしょう。

 

「こういう浩介もできる」と提示したかったのでしょうか。

 

「こういう浩介もやってみたい」と思ったのでしょうか。

 

ご本人に聞いてみたいですね。

 

 

役の可能性

 

 

消しゴムの初日を見たあとに、鈴木拡樹さんが髑髏城について語っている『W! Vo.l.18 Stage Premium 』を読みました。

 

W! VOL.18 Stage Premium|株式会社廣済堂出版 kosaido publishing

 

鈴木さんは、天魔王を演じて一番感じたこととして、「同じ役でも演じ方を変えられる可能性に気づいた」ことをあげていらっしゃました。

 

これは、わたしが鈴木天の芝居を見てとても印象に残ったことでしたので、興味深く読みました。

 

(何度もブログに書いてきましたが、びっくりするほど頻繁に芝居が変わったのです……)

 

天魔王を経て、鈴木さんの演劇観に変化があり、それを髑髏城後に初めて実践した舞台が『消しゴム』だったということなのかもしれませんね。

 

そんな貴重な舞台を見ることができて、幸せです。

 

 

ふたりの浩介

 

 

総論としては、どちらの浩介もすばらしかったです。

 

(※次の章から、ふたりのちがいについて少し書きますが、優劣を問うものではありません)

 

朗読というより、演劇でした。

 

体をつかった演技が多かったということもありますが、たとえ椅子にすわって本を見ているときでさえも、浩介が立って動いている様子が、まざまざと見えたのです。

 

鈴木さんの声の演技によって、あざやかに浮かびあがったのです。

 

ラストで、薫のスケッチブックが海風に吹かれてめくれていくシーンなど、まるで現実のように目の前に見えました。

 

「まるで映画のように」という表現がありますが、それ以上でした。

 

本当に、わたしの目の前で、スケッチブックが、ぱらぱらと音をたてながら一枚ずつめくれていって、薫が描いた浩介の顔が見えたのです。

 

何枚も、何枚も……

 

 

 

いつもブログを読んでくださっている方はご存じかと思いますが、わたしの目は、興味のあることだけ、わりと映像のように記憶してくれます。

 

鈴木天魔王の動きは、妙にわたしの心の琴線にふれたようで、いろんな演技が、いちど見ただけで、あざやかに記憶されました。

 

そのため、セリフのないシーンでもレポの描写がわりと詳細なのです。

(でも文章力が追いつかないので、再現できないのが哀しい💦)

 

こんなに憶えてしまうのは天魔王だけかと思っていたのですが、浩介の動きもよく憶えています。

 

つまり……

 

わたしが好きなのは下弦天だけなのかと思っていたのですが、今回の舞台を見て、鈴木拡樹さんの演技も好きなのだということに、ようやく気がついたのでした。

 

 

初日の浩介

 

 

初日のほうが、感情を素直にあふれさせていて、自然な芝居だったように思います。

 

感情の高ぶりに、時に言葉がついていかないほどでしたが、そんなところもいかにも「不器用で無骨な浩介」らしかったのです。 

 

前半のコミカルな芝居もすごく上手で、決めどころでは完璧に決めていましたし、後半では気持ちのままに熱い涙を流していました。

 

彼の気持ちに寄りそいながら見ていたわたしも、静かに泣きました。

 

(大人になってからは舞台観劇で泣いたことのないわたしが泣かされたのは、これで二度目! 前回は鈴木天魔王の演技でした)

 

全体的によく練られていて、完成度が高く、きれいにまとまっていました。

 

もともと、脚本自体がきれいにまとまっている作品なので、「きれいなものを見て、きれいな涙を流した……」という印象があります。

 

 

このように、「鈴木拡樹さんならこれくらいの演技は見せてくれるはず」という想定値は越えてきたのですが、「もし時間があったら、もっとできるのではないかしら……?」と思ったことも事実です。

 

もちろん、現状でも満足ですし、感動して涙まで流したわけですが……

 

才能のあるひとには、期待も大きくなってしまうのです。

 

そして、髑髏城でもそうだったように、鈴木さんにとっては、わたしの想定値が高すぎるということはないはずです。

 

いつだって、あざやかに越えていってくれましたから。

 

 

ところで、初日後に鈴木さんがツイートした写真はごらんになりましたか?

 

まるで海を渡り切ったあとのように、すがすがしくて、充実した顔をしていますね。

 

浩介を全力で演じ切った直後だからなのではないかと思います。

 

実は、わたしは、天魔王以外の鈴木さんの写真にまだ慣れていなくて、これまであまり見ないようにしていました(……雑誌も写真を隠しながら読んでいます💦)

 

でも、初日の写真は、初めて気に入りました。

 

メイクが落ちて、素顔だからでしょうか。

 

とても好きな写真です。

 

天魔王でないときの鈴木さんは、素顔のほうがいいですねʕ^ᴥ^ʔฅ

 

 

楽日の浩介

 

 

楽日は、第一声から、あきらかに違っていました。

 

初日より、低くて、よく通る張りのある声で、床から響きわたるように全身に伝わってきました。

 

表現自体は、初日よりも激しかったのですが、鈴木さんは感情的にならないようにコントロールしているようでした。

 

実際、とても冷静で、抑制のきいた演技だったと思います。

 

涙を流すこともありませんでした。

  

性格は初日よりも荒々しくて、ざらついたところがありました。

 

でも、むしろそれが「不器用で無骨な浩介」としてはリアルだったのです。

 

なにしろ、浩介と薫は、理解しあえなかった時間がとても長い。

 

たとえば、薫が病気を知ったのは12月でしたが、浩介がそれにやっと気づいたのは翌年の5月になってからです。

 

なんと半年近くも!

 

同じ家に住んでいながら気づかなかったのです。

 

でも、現実的には、そんなものなのかもしれませんよね。

 

たとえ同じ屋根の下に暮らしていたとしても、会話がなければ、人間はエスパーのようにはなれないでしょう。

 

浩介と薫は、長い間ずっと、「愛はあっても理解はない」という関係でした。

 

楽日の鈴木さんの演技からは、この事実がいっそう浮彫にされていたのです。

 

それゆえリアルで、胸にせまるものがあったのだと思います。

 

また、楽日の浩介は泣きませんでしたが、それも当然なのかもしれません。

 

なぜなら涙は、10歳で母親に捨てられたときに枯れ果ててしまったのですから。

 

それに、ほんとうに絶望したときや、悲しみの果てにいるとき、案外、ひとは、涙がでないものです。

 

楽日の浩介からは、そんな乾いた絶望が伝わってきました。

 

 

だからわたしは、(わたしも楽日では泣きませんでしたが)、こちらの浩介のほうが好きなのだと思います。

 

 

そんな不器用で無骨な浩介でしたが、薫のために壁に貼ったメモの前に立ったとき、初めて、ものすごくやさしい声になったのです。

 

その瞬間、胸がしめつけられるように痛くなりました。

 

あの声は、今も耳に残っています。

 

浩介も、涙を見せることはありませんでしたが、心の中では号泣していたのではないでしょうか。

 

 

ふたつのプラン

 

 

当初、鈴木さんが想定していた演技プランは、初日ヴァージョンだったのではないかと思います。

 

よく練られていたからです。

 

それに、とても自然な芝居でしたから、鈴木さんにとっても演じやすかったのではないかと思います。

 

楽日のプランは、初日のあとに生まれたのではないかと想像しているのですが、どうでしょうか。

 

こればかりはご本人に聞いてみないとわかりませんね。

 

 

楽日も初日と同じプランを演じようと思えば、できたはずです。

 

2回、演じることで、表現もさらに深くなったかもしれません。

 

観客もみな感動して、泣いて満足したのではないかと思います。

 

でも鈴木さんは、そうはしなかった。

 

なぜでしょうね……

 

聞いてみたいです。

 

 

あくなき挑戦を続ける鈴木さんは、きっと、これからもどんどん上手になって、進化していくのだと思います。

 

 

10年後

 

 

ときどき、10年後に鈴木拡樹さんに会いたかった、と思うことがあります。今ではなく。

 

きっと、わたしが大好きなタイプの役者さんになっているはずだから。

 

芝居も、外見も、年齢も、お仕事も……なにもかも、すべてが。

 

でも逆に、鈴木さんが「役者として進んでいく」と決意した今の時点から、10年間も進化を見続けられるというのも、幸せなことなのかもしれませんね。

 

そしてこのブログは、その10年のうちの、大切な初期の記録となるでしょう。

 

 

 

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星と、前々回の記事にコメントをどうもありがとうございます。

お返事を書きましたʕ ❛ᴥ❛ʔฅ~~💓