宇宙シロクマ

Tuscan Blue's blog

髑髏城の七人 Season月 下弦の月 感想 1月13日(土)マチネ 【鈴木拡樹天魔王さま編】

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13日マチネは、言葉にしたくないくらいすばらしかったので、ブログに書くのはやめようかと思ったほどです。

やはり文章化してしまうと、必ず別物になってしまいますから。

 

それよりも、ずっと心のなかにとじこめておいて、時々、そっと取りだしてみては、いろんな角度から眺めていたい。

 

そんな舞台でした。

 

 

 

天魔王(鈴木拡樹さん)

 

 

 演技があまりにすばらしかったので、大人になってから初めて、観劇中に泣いてしまいました。

小さいときに「人魚姫」を見て以来です。

 

(私はどうも舞台は冷静に見てしまうようで、それ以降、リアル涙がでることはなかったのです。ほかのジャンルだとわりと泣きます)

 

今回は物語に泣いたのではなく、演技そのものに泣いてしまいました。

 

私が、「天魔王なら、こういう場面では、こうするのではないかしら」と思っている理想のすべてが、目の前で華麗に演じられたからです。

 

これが泣かずにいられましょうか?

 

 

 

そこで今回は、感謝をこめて、100%天魔王レポを書こうと思います。

 

すべての言葉には100%感謝の気持ちがはいっていると思っていただければ幸いですʕ๑′ᴥ‵๑ʔ

 

 

 

下弦天魔王の何が好きなのか?

 

これは演技法にかかわることなので、好きな理由をぜんぶ書いていったらブログの容量がつきてしまいます。

 

そこで、大きな理由を2つあげることにしますね。

 

 

(1)まじめ

 

「こんな天魔王、見たことない!」

(11月27日、初見での感想)

 

鈴木拡樹さんの演技法の大きな特徴は、そのまじめさにあると思います。

あんなにまじめに造形された天魔王、初めて見たので、とても新鮮でした。

 

これまでいろんな個性的な天魔王がいましたが、鈴木天魔はどの天魔とも違っていました。

 

私は、新しい「王道の天魔王」が誕生したのだと直感しました。

王道中の王道の天魔王、今までいませんでしたから。

 

おそらく鈴木拡樹さんは、月髑髏の台本をひたすらまじめに分析して、「天魔王」という役の根幹をつかんだ。

 

そしてそれを緻密に組み立てていった成果が、下弦天魔王なのではないでしょうか。

 

まじめなアプローチで、これまでにない、そして、「本来こうあるべきだった」という王道の天魔王を、初めて実現してしまったのです。

 

いちばん最後にあらわれた下弦天魔王が、燦然とかがやく王道だったというわけです。

 

 

このまじめさは鈴木拡樹さん個人の個性だと思うのですが、どうでしょうか。

 

個人的に存じ上げないのでわかりませんが、「演技とは個性そのもの」だという考えからすると、そうなのではないかと想像しています。

 

まじめなところのある方なのではないですか?

 

おそらく彼は、どのような役を演じるときでも、このまじめなアプローチをされるのではないでしょうか。

 

たとえ、ふまじめな役であったとしても、まじめに分析して、緻密に役を組み立てていって、ふまじめさを実現してしまう。

そんな気がいたします。

 

そして私は、こういうまじめなアプローチが好きなのです。

 

 

  (2)冷静

 

「わあ……このひと、冷静……」

 

下弦天魔王の中には、ものすごく冷静な目をした鈴木拡樹さんがいます。

冷静に、激情や狂気を演じている。

  

よく「舞台上に鈴木拡樹がどこにもいなかった」といわれていますが、そういう意味ではむしろ、「ずっと鈴木拡樹がいた」ように見えます。

あの冷静さは完全に役者本人のものですから。

 

冷静な鈴木拡樹さんは、観客が今、何を考えているのかわかっている。

観客の心理を冷静に判断した上で、ふさわしい演技をしているのでしょう。

 

そしてもちろん観客にも、鈴木天魔が今、何を考えているのかがしっかりと伝わってくる。

それだけのことを彼はしているから。

 

こうなってくると、もはや劇場空間は理解と友愛に満たされていて、「王蟲が心をひらいておる……」という大ババ様の声まで聞こえてきます。  

 

私は下弦天を見ているといつも、王蟲と心をかよわせるナウシカの心境になるのです。

 

 

 

 

スクリーンの悲劇

 

 

これまで2回とりあげてきた、私の好きなシーンをご記憶でしょうか。

 

2幕、無界屋襲撃の前、髑髏城にて。

蘭丸の言葉を受けた天魔王が扇でパタパタあおぎながら、

「ああ……なるほど……」

「おもしろい……」

スクリーンが急ぎとじていく────

 

という、例のシーンです。大好き!

 

楽しみにしていたのですが、なんと私の席からは、「おもしろい」を言う前にスクリーンで天魔王が隠されてしまって見えなかったのです……!ʕ ˃̣̣̥ᴥ˂̣̣̥ ʔ

 

「ああ……」のあたりですでにそのきざしがあったので、

(えっ……ええーっ!まさかっ!?)

と動揺してしまいました。

 

特に今回は、鈴木拡樹さんがとても良い芝居をされていたので、ここもぜひ見てみたかったです。

 

 

 

天魔王と「コミカル」

 

 

天魔王という役の根幹を完全につかんでさえいれば、どんなに演技プランを変えても、役がブレることはありません。

その根幹があるかぎり、いくらでも表現で遊ぶことができます。

これが演技の楽しいところでもあります。

 

鈴木拡樹さんは、後期にはいって、ますます楽しそうに演じていらっしゃいます。

実際、座組も良い雰囲気のようですし、楽しくてしかたがないのではないでしょうかʕ๑′ᴥ‵๑ʔ

 

天魔王を完全に自分のものにしているので、いくらでも芝居を変えて遊ぶことができるのでしょう。

 

その変化のひとつが、「コミカル」です。

 

私は1月4日の感想に、後期になって天魔王の演技が変わった、「コミカルといってもいいような……」と書きました。

 

完全にコミカルだと言いきらなかったのは、一般的に「コミカル」という言葉から連想されるような、根っから葉先まで明るいコミカルではないような気がしたからです。

 

下弦天魔王のコミカルには、どこか、ほの昏いところがあります。

愉しそうな声にも、どことなく冷たい響きがあるのです。

 

たしかに、表情や声色、細かいしぐさなどはコミカルになっているのですが、その裏には底冷えするような気配がある。

顔は笑っていても、目が笑っていないのです。

その本性が一気にあらわれるのが、生駒を殺すときの彼でしょう。

(これについては後述します)

 

新年に天魔王をごらんになった方の中には、あのコミカルさの表層だけを見て、「○○天魔王そっくり」だと誤解している方もいるようです。

ところが、ふたりの天魔王のコミカルさは、本質がちがいます。

 

○○天には、たしかに文字通りのコミカルさがイグザクトリーにあったように思います。

 

しかし下弦天のコミカルさの根底には、冷たくて昏い河がこんこんと流れているような気がします。

(もちろん、今後どう変わっていくのかはわかりませんが……)

 

一見、陽気なように見えても、どことなく、こわい……

ひと皮むけば、冷酷無比な本性があらわれそうです。

 

たとえば、さっきまでみんなと一緒に楽しそうに笑っていたとしても、ふっと目を離したすきに、とてつもなく冷たい目をしている。

そんな気配があります。

 

だから私は、あのコミカルさは実は「下弦天魔王の演技」なのではないかという気もしているのですが……どうでしょうね?

 

人心掌握にすぐれた優秀な下弦天なので、あれくらいの演技はこなすでしょう。

 

つまり、鈴木拡樹さんが演じている下弦天が演じている「コミカル」という演技。(ふくざつ!)

 

 

 

生駒の死

 

 

下弦天魔王のなにが凄いかというと、生駒を殺すときに、一切の憐憫の情をみせないところです。

徹頭徹尾、冷酷無比。

 

もしここで、一瞬でも哀れに思ったり、後悔したり、ましてや許しをこうたりしたら台無しです。

下弦天のキャラが崩壊してしまいます。

さらには生駒というキャラの最期まで台無しになってしまいます。

 

下弦天が冷酷で、生駒のことを「生きた駒」としてしか扱ってこなかったという厳然な事実によって、彼女の死はいっそうあざやかな印象を残すのですから。

 

その点、鈴木拡樹さんはものすごくよくわかった、隙のない演技をしてくれます。

 

生駒を見もせず、ただ剣をむけて無言で「死ね」と命じるところから、ぞっとするほど冷たい。

 

最後に一瞬だけ顔をゆがめますが、あれは憐憫でも後悔でもなく、「つまらぬもので剣を汚してしまった」というような表情に見えます。

 

下弦天が大切なのは、おのれのみ。

……ということが最後列の観客まで伝わる、完璧な絵です。

 

また、鈴木天魔の芝居が全体的に軽やかでコミカルになったことによって、この場での豹変ぶり、冷たさがいっそう引き立ったように思えました。

 

 

 

捨天対決

 

 

クライマックスで、天魔王は剣を失ってしまい、なすすべがありません。

もはやこれまで……

すべてを悟ったかのような顔で、天魔王は捨之介を静かに見すえます。

ところが捨之介は斬ろうとしません。

その刹那、天魔王はカッと怒ったように顔色を変えました。

武士の矜持が高い天魔王は、情けをかけられたことを恥じたのでしょうか……

感情を爆発させた顔をして、

すぐに捨之介の剣を素手でつかみ、

みずからを刺したのです。

 

その間、ほんの数秒でしたが、とても印象的な演技だったので、まるでスローモーションのように思い出すことができます。

 

天魔王は、いつもここでとてもいい顔をしているのです。

LVではちゃんと映してくれるでしょうか?

 

 

 

天魔王の最期

 

 

LVで映してほしい天魔王の顔といえば、飛び降りる「直前」です。

最近、照明が強すぎて、いつも天魔王がシルエットになってしまって顔がまったく見えないのです。

(もちろんそれはそれで、迫力があるのですが……)

 

でも今回、飛び降りる「途中」の表情は、はっきりと見ることができました。

 

飛び降り方は、歌舞伎のギバに近いものでした。

何かをむかえるように両腕を少し前方にひらき、全身に力をいれて、立ったままの状態で後方に倒れていきます。 

 

そして体が天と平行になったとき、両目ははっきりと見開いていました。

 

ああ、彼の目には今、天が映っているのかな……と思わせられる、迫真の演技でした。

 

 

それでもまだ、彼は死を偽装しただけで、生きのびているような気がしてしまいます。

 

そんなふうにいつまでも心を残す、天魔王の最期でした。

 

 

 

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ここまで読んでくださって、どうもありがとうございましたʕ๑′ᴥ‵๑ʔ

 

まだほかにも書きたいことがあるのですが、長くなってしまうのでまた後日にしますね。

 

それでは、またあしたʕ ❛ᴥ❛ʔฅ~~💓

 

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