宇宙シロクマ

Tuscan Blue's blog

天魔王のオリジナリティ

 

下弦を初めて見た夜から、ずっと気になっていたことを書きますね。

 

私は何かと何かをくらべていろいろと言うのが個人的にあまり好きではないので、これまでネット上で下弦とほかの髑髏を比較したことはありませんでした。

それぞれが唯一無二で、くらべるようなものではないと思うからです。

 

でも、Twitterやブログの感想を見てもわかるように、やはり世の大勢は比較ですよね。

(※前向きな良い意味で比較しているのであれば興味深く読むのですが、そうではないものを読むと、とても残念な気持ちになるのです……)

 

感じ方や、それを文章で表現する方法は人それぞれですので、どんな感想でもありえると思います。

 

ただ、気になるのが、時々、「下弦天魔王は○○天魔王のコピー」という感想があることです。

(※そこで使われている「コピー」とは、演者が当然考慮しているはずの「歴史ある役を演じる際に必要な心配り」という意味ではなく、ただの真似としての「コピー」)

 

見かけるたびに、「ぜんぜん似てないのに、なぜ……」と、ふしぎな気持ちになっていました。

 

どのような感想があっても良いと思いますし、さまざまな意見があるのは、むしろすばらしいことだと思います。

 

ところが、この「コピー」という意見に対する反論をまだ見たことがないので、ネットの片隅に記しておこうと思います。

 

 

 

下弦天魔とよく比較される○○天魔を、私は観劇しました。

(また、彼の演劇表現、特にダンスに惹かれてよく拝見しています。)

 

彼と下弦天が似ているとはまったく思いません。

ふたりとも、個性があんなにあざやかに際立っているのに、なぜ似ているように見えるのでしょう。

 

もっとも、もし世界中の役者の芝居を5つのグループにわけるとしたら、同じグループに入るかもしれません。

「日本語話者である同世代の日本人男性」という共通点がありますからね。

その程度の類似です。

 

ふたりとも、それぞれのベクトルに突き抜けています。

芝居の本質がちがうので、たとえ舞台にならんで立って、同じセリフを同じ所作で言ったとしても、別物が生まれることでしょう。

 

それなのに「コピー」などという誤解が生じるのは、まだ下弦天魔を見たことのある方が少ないからだと思います。

 

下弦の初日から、ようやくひと月ですからね。

 

これから先、後期がはじまって、観劇する方がもっと増えたら、多くの方が気づくことでしょう。

 

鈴木拡樹さんの天魔王は彼特有のオリジナルであり、ほかの誰かのコピーではなく、また、誰にもコピーできないということを。

 

 

 

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